こっそり温病会♪
中医学の基本概念である温病学を学んでいます。

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2-5_温病と温毒

 中医の古代文献中には更に温毒の名がある。「肘后方」中にはすでに温毒発斑の治方が載っている。温毒は一般的に温熱毒邪を感受して引き起こされる独特な症状の一種の急性熱病を指す。それらは一般的な急性熱病の臨床症状だけでなく部分的な紅腫熱痛があり、甚だしければ爛れ、あるいは発斑疹等の特別な症状がある。大頭瘟・爛喉痧・痄腮(おたふく風邪)といった多くの疾病がこの中に含まれる。温毒は実際は温病の範疇に属し、温病中で腫毒症状を持つ一種の独特な病種であり、1つの独立した疾病ではない。そのため、本教材では温毒の1つの具体的な病種の名称とはしなかった。
この他、前人はさらに温毒を1つの病因概念と捉え、これを温病の病因中で論述しているが、この中は多くが無駄なものというわけではない。

2-4_温病と温疫

 温病は温熱の性質を持つ外感病で、温疫は温病中で強烈な伝染性を持つとともに流行性のある一類の疾病を指す。歴代の中医の文献中で温病と温疫の概念の認識はしばしば分かれていた。医師が温病と為すと認めたものはすなわち温疫と為すということがあり、二者の名称は異なるとはいえども、その指すところは実は同じであった。呉がまた説いた様に、「これ温者は熱の始まり。熱者は温の終わり。温熱は首尾一体で、故に熱病はすなわち温病と為すなり。また、疫と名づくものは次々と伝染病にかかり、例えば、税金のよう(に大変)だと民衆は等しくこれを言うなり」。温疫と温病は異なり、その違いは伝染性の有無にあると考えている医師もいる。伝染性を持つものを温疫と為し、伝染性を持たないものを温病と為す。陸九芝がいうところでは、「温は温病を為し、熱は熱病を為す。・・・・と温疫を弁ずるものは他になく、その伝染と不伝染の弁に蓋をし、耳をふさいでいる」
 以上、両種の見解は異なるとはいえ一致する部分もある。温疫は伝染性を有する疾病の一種を指すというところがそうである。両者の違いは以下にある。前者は、温病は全て伝染性を持ち、そのため、温疫と称せるとしている。後者は、温病は伝染性を持たず、伝染するものが温疫であるとしている。従って、現在の認識としては、この2種の見解はともに一定の一面性があると考えている。前述したように、温病は実質上現代医学で言うところの多種の急性伝染病・急性感染性疾病・いくつかのその他の発熱性疾患を包括している。その中の多くは確かにある程度の不同の伝染性を有するが、いくつかはまた伝染性がないので、温病を直ちに温疫とすることはできず、二者は混ぜて1つの談を為すと考える。ただし、温病の中には確かに伝染性を有する病種が少なくないと考えなければならない。つまり、いくつかの温病には明確な伝染と流行の発生はないが、絶対に伝染性を持たないというのとは異なるので、温病には伝染性がないとは考えず、温病と温疫の概念は対立に起因すると考える。
温病と温疫には概念上明確な区別があり、温病の予防と治療の指導には一定の意義がある。温疫は温病の中で強烈な伝染性を持ち、流行を引き起こす疾病の一種で、勢い良く迅速かつ猛烈に感染し、病状は重く、一般的な温病と比較すると危害は更に甚だしい。このため、温疫の予防と治療を更に重視することによって、迅速で有効な予防と治療措置を施し、その発展と蔓延を制御し抑える。温疫は温病から独立した疾病の一種ではなく、その弁証治療は尚温病の弁治体系の進行による。そのため、本教材では温病を区別し専門の章を置いて論述することはしなかった。

2-3_温病と傷寒

 温病学は、「傷寒論」の体系の基礎を原点として発展し、自身の体系をしだいに形成した。そのため、温病と傷寒は概念上区別されるが、歴代の文献中二者の概念間には一定の関係がある。
 中医の歴代文献において傷寒には広義と狭義の定義がある。広義の傷寒はあらゆる外感温病の総称で温病はその中に含まれる。正に「素門・熱論篇」で説いているように、「今これ温病の者は皆傷寒の類なり」。すなわち、温病は全て傷寒の範囲に含まれると把握している。「難経・五十八難」では「傷寒には5つある。中風、傷寒、湿温、熱病、温病である。」とされている。「傷寒には5つある」という部分の「傷寒」は広義のもので、5種のうちの1つの「傷寒」は狭義のもので、専ら寒邪を感受してかかる一種の外感病を指す。また、5種のうちの1つの温病は中風や傷寒・湿熱・温病などと並列されている。これと多種の外感病の総称である現在の温病の概念とは異なる。ここまで見てきたように、古代の傷寒と温病の概念の間の関係は以下のようである。温病は広義の傷寒の範囲に含まれ、両者は隷属関係である。温病と狭義の傷寒は外感病の中の2種で、性質が完全に異なる疾病であり、両者は並列関係にある。
温病を引き起こす外感温熱の邪と傷寒を引き起こす外感寒邪には臨床症状に明らかな違いがあり、採用されている治法・方薬もはっきりと異なる。そのため、きっちりと区別しなければならない。温病中の風温と傷寒はともに冬と春に発生しやすいとはいえ、二者は因証脈治において同じではない。風温は風熱邪を感受して引き起こされ、初めは表熱証に属す。臨床症状は比較的発熱が甚だしく、悪風寒は比較的軽い。口はわずかに渇き、咳嗽は痰がからみ粘っこい。咽喉が痛く、舌苔は薄白、舌辺尖紅、脈浮数等。辛凉解表をもって疏泄風熱して治すと良い。傷寒は風寒邪を感受して引き起こされ、初めは表寒証の属す。臨床症状は発熱が比較的軽く、悪寒が甚だしい。口は渇かず、無汗、咳嗽は痰があまりからまず、身体の節々に疼痛があり、舌苔薄白、舌質は正常、脈が浮緊等。辛温解表をもって発散風寒して治すと良い。

1-新中国成立前後

 温病学は清時代に体系が完成したが、アヘン戦争後、新中国成立の頃になると中医学は重視されなくなり、発展できなくなった。
 新中国成立後、新たに生まれ変わり、中医学と西洋医学の医療従事者は真に温病学の理論を継承し、あわせて系統の整理・研究を進め、温病学を急速に発展させた。急性伝染病・急性感染性疾病、その他の発熱性疾病の予防と治療の実践において、広く温病学の理論と経験を応用し、新たなものを得て、中医学が急性熱病を治療できることを示した。1954年に石家村に流行した流行性2型脳炎を温病学の理論と方法を用いて治療したところ顕著な効果を得られたので、中医の急性伝染病に対する治療は良好なスタートをきり、医学界において重視されるようになった。この後、温病学の理論と経験は更に広く、流行性脳脊髄膜炎・流行性2型脳炎・麻疹・白喉(ジフテリア)・菌痢・腸傷寒・鈎端螺旋体病・流行性出血熱・肺炎・急性胆道及び泌尿道感染等の治療と予防に用いられ、全て比較的良い効果を得ている。臨床経験は絶えず集められ、診断治療の規律が探索され、温病学の理論もまたいくつかの研究が進められたので、広い医療実践の基礎が成された。例えば、中医と西洋医学の結合の方法は温病の衛気営血弁証の理論に基づいており、現代医学の伝染病に対する認識に関連している。さらに、温病の衛気営血の伝変規律及びその本質は検討が進んでいる。現代の生理・病理・組織・生化学等の知識と方法が用いられ、温病の舌苔変化に対する系統的な観察と研究が進み、一定の成績を得ている。各種の急性伝染病・急性感染性疾病及びその他のいくつかの熱性疾病の弁証分型に対する治療の規律の総結が進んだ。温病の治療に対して有効な方剤と生薬があり、その治療効果は基本的には認められており、実験研究によってその薬理作用が徐々に明らかとなっている。これと同時に、温病の治療方法と薬物の研究もまた新たな進展を遂げた。例えば、各地で異なる疾病特異的な病原体に対する中草薬と治療方剤を総結した。伝統的な剤形に革命がおき、錠剤・エキス剤・注射剤等の新剤形が作られ、使用が便利になり治療効果があがった。このいくつかの成果はすべて温病治療学の内容を極大まで豊富にした。各地で古代文献が整理され、臨床経験の基礎が総結し、多くの温病学の専門書と教科書が編著された。このほか、温病学の文献整理の方面でも多くの仕事がなされ、多くの温病学の原著が再版・校正・注釈・翻訳され、祖国医学の遺産を作り、継承と発展に貢献した。当然、これまで得た成績は時代の要求からは一定の距離があり、さらなる努力を続け、温病学のさらなる発展の高度化を促進することが必要である。
 温病学はひとつの臨床実用の学科で、全体的で系統的な理論がすでに存在する。また、比較的高い臨床実用的な価値を有する。よって、学習過程においてまず注意すべきなのは温病学の基礎理論、基本知識と基本技能を掌握することで、明確な概念が必要ではっきりと原理をおさえなければならない。この基礎を成したうえで温病の各種の病症の特徴に重点を置き、異なる温病の症治規則に及ぶ。あわせて前後の内容の関係と比較に注意を払い、いろいろな道理を十分にこなしてすっかり理解することを求める。同時に、理論と実際の原則の関係を見極め、基礎理論・知識・指導と臨床病例の分析と診断治療に注意して運用し、実践においては問題を分析し解決する能力を高く持ち続けなければならない。

1-明~清時代

明~清時代
温病学は明時代に発展し、清時代に次第に成熟に向かった。多くの医師が集結し、前人から受け継がれてきた複雑な温病学の理論と経験を独自の実践体系と結びつけ、温病学を一気に発展させた。具体的には、温病の認識が更に深まり、理論がますます完全になり、治法は絶えることなく豊富となり、新しいものがでてきて総結され、比較的完成されたひとつの温病弁証論治の体系ができた。このことが温病学をひとつの独立した学科と成さしめた。
 明時代の医師である呉は我国の医学発展史上最初の温病の専門書を編著した。その本は「温疫論」という本で、彼は温疫の病因・発病・治療等について独特の見解を示した。病因については、温疫の病因は決して風・寒・暑・湿等の六気の感ずるところにあらずと述べている。自然界の中には一種の独特な病因物質があり、「癘気」というのは進入し深く入り込むことにより温病に至らしめる特異的性質をを有する病因素である。流行の性質としては温疫病は強烈な伝染性を有しており、「老少強弱を問わず、触れた者をすぐに病気にさせる」。感染経路は口や鼻をからである。治療面においては最も必要なのは祛邪であると強調しており、あわせて疏利通達の法を創り出した。当時の歴史条件下に存在したこのいくつかの知識は確かに重大な考え方で、その実際の意義は現在に至ってもなお失われていない。その後知っておくべき言葉が「尚論篇」中にあり、温疫の治療原則の根拠が上中下の三焦の病位について穢れを主に追いやり解毒することにあるということの他、秋の燥邪のよる病の病機と治療法を深く論述している。温病学は因証脈治の方向で完成体系が作られた。すなわち、清時代の叶天士、薛生白、吴鞠通、王孟英等の温病学家が指標となる核心的な理論体系である衛気営血・三焦弁証を確立した。
 数多くの清代の温病学家中で「温熱大師」としてまず称えられるのが叶天士で、傑出した代表人物である。彼の弟子がその口授を整理し、「温熱論」と成し、温病学の理論において、基本的で尊敬される作となった。この本の中において叶派は温病の病因・病機・感染経路・侵犯部位・伝変規則・治療の大原則等を明らかにした。温邪は口や鼻から出たり入ったりし、人体の肺衛を犯し、病程が伝変中には順伝と逆伝が不同で起こることを指摘しており、衛気営血弁証で治療を施す理論体系を創立し、温病の診断方法である弁舌・検歯・弁斑疹・白バイ等を発展させた。この他、「臨証指南医案」中に更に大量の温病の医案、温熱病の弁証要約としての范例を挙げている。叶天士と同時代の医師の薛生白は「温熱病篇」中に温熱病の病因・病機・弁証治療法を比較的前面・系統的に論述して、温病学の内容を更に充実させた。この後、温病学家の吴鞠通が現れ、叶学派の基礎を確立し、自分と他の人々の臨床経験をあわせ、四季の温病について系統的に論じた専門書を編著した。その本とは「温病条弁」で三焦弁証を教え導き、温病学を形成せしめ、衛気営血・三焦をもって核心的弁施治体系を成した。呉氏は所々に散っていた温病の治療の大法則や方剤をひとつに整理し、温病学の弁証論治の内容を更に完成へと向かわせた。この他、清代には戴天章の著に「廣温疫論」があり、楊栗山の著に「傷寒温疫条弁」があり、余霖の著に「疫疹一得」があるなど温疫の発生発展と弁証治療が均しく作られ、激しい討論がなされており、あわせて、多くの有効な治療方剤が創られた。王孟英はすなわち「岐の仲景は経となし、叶・薛諸家の弁は緯となす。」とした人で、いくつかの主要な温病学の著作を集めあわせて自己の実践認識編著として「温熱経緯」を書き、温病学の理論と治療法を比較的全面的に整理した。これは温病学の成熟発展の一歩となり、重要な作用を及ぼした。
ここまで見てきたように、温病学は明清時代に到って発展し、温病学家の努力によって新経験が総結され、新理論が創立され、新治法が制定された。理論と方剤、生薬がひとつの完成体系にあり、新たな独立学科が形成したといえる。中医温病学は一時代を画する成果を挙げ、現在に到ってもなお有効的に運用・臨床実施されており、温熱病の弁証施治の指導が定着している。そのため、明清時代、特に清時代は温病学の形成段階と説明できる。
 温病学の形成過程中、温病学理論体系の確立が続いて起こり、医学領域中において温病学理論の評価と「傷寒論」の関係の間でひとつの論争が巻き起こった。これは、いわゆる傷寒学派と温病学派の争いである。傷寒学派の主要な観点は、傷寒は全ての外感熱病の総称であって、温病はその中に含まれているので特別分ける必要はないというものである。彼らは張仲景の「傷寒論」は完成された温病証治の内容を含んでおり、「傷寒論」単独ではなく六経を網本として傷寒をなしており、傷寒を廃することはすなわち六経が伝わらないということであり、六経を廃することはすなわち百病が途絶えて伝わらないということであると認識している。「傷寒論」中の陽明病証を治すための知識は温病にかかったときの知識であり、温病の熱は自らを焼く熱で、その中で重要なのは陽明経と腑二証で、経証は白虎湯を、腑証には承気湯を用いる。この二法があるので、温病は治らないことはない。基本となる知識にのっとって、叶や呉らの温病学家に対しておおいに批判を加え、彼らは「新しく異なる指標をたて、数々の書の祖を忘れている」と説いた。温病学派の主要となる観点は温病と傷寒を外感病の二大類別にあてており、病因と病機がしばしば異なり、概念を混ぜることはできないので治療は厳密に区別しなければならないというものである。あわせて傷寒論は外感病の治療についての専門書ではあるが、その内容は結局は「寒に詳しく、温を略している」。その陽明病証の治療の内容は温病に用いることができるといえども、概括において温病的な証治がなされているとはとてもいえない、と指摘している。この主張は、温病にとって「傷寒の世界から跳び出す」ことは必須で、「傷寒から羽ばたく」ことをもって新論を創立したのだという考え方に基づいている。「傷寒論」は外感病の治療という面においては多大な貢献をし、その弁証施治の原則の確立は後世の温病学の発展において重要な基礎となった。その中には多くの治法・方剤・生薬が収載されており、ここから温病学家によっても使われているし、現在も尚臨床実用的な価値を有しているということは必ず肯定されるべきである。ただし、「傷寒論」は結局は東中国で漢の終わりごろに書となるに到ったもので、当時の歴史条件と熱性病に対する認識の限界により全体的に十分に完璧であるとはいえないと考えるべきである。隋代は社会的に発展し、医療実践は絶えず累積し、人々は必然と「傷寒論」を必要として、客観医療の実践の需要に応えるために基本的に総括・発展が絶えなかった。温病学は外感病治療の進歩と発展のある中医学で、むろん理論上および具体的な治療証治を「傷寒論」全体と比較すると大きく発展しており、「傷寒論」の不足を十分補っており、外感病の治療効果は高められている。これによって温病学説形成後、多数の医師に比較的容易に受け入れられ、用いられた。温病学と「傷寒論」は学術上一脈相称で、分けられない。「傷寒論」は温病学形成においては重要な基礎で、また、温病学は「傷寒論」を発展・補充したものである。既に「傷寒論」があるので温病学が余計なものであるとは言えず、温病学と「傷寒論」の対立と起源をはっきりと把握することはできない。当然、温病学はなお絶える事のない実践を必要としており、総括と研究によって補充と発展、更なる有効性が加えられる。

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